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2006/09/06

神を見ること

レビ記 第18章

 神がイスラエルをエジプトから導き出されたのは、彼らをそれら異境の民の因習から自由にし、ご自分に仕える聖なる民にするためだった。聖なる民になるために神に仕えるのではない。神に仕えること自体が聖なる民としての報酬なのだ。なぜなら、神は交わりの中におられるからである。
 「愛のない人に神は分かりません。神は愛だからです。」と聖ヨハネは言っている。神は、ご自身だけで単独に存在される方である。しかしそれは、また私たちが決して見ることのできない方である。私たちが神を見ようとするなら、主イエスが神を見ておられたようにして見る他はない。そしてそれは、聖霊の助けにより可能とされる主イエスとの交わりによる。そしてさらにそれは、信徒間の清い交わりによるのである。「2人また3人が私の名により集うところに私もまたいる。」と主イエスが言われた通りである。
 父なる神さま。主イエスが与えてくださる、清い生活をいきることにより、日々あなたを見るものとならせて下さい。

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