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2006/08/18

神の主権

レビ記 第14章

 ここには、癒されたライ病人の清めを宣言する儀式について記されている。彼は、祭司のところに連れて行かれ、祭司は宿営の外でこの儀式を行う。
 まずそのライ病が癒されているかどうか確認する。次に2羽の鳥を用意させ、1羽を殺しその血にヒソプ等の薬草を混ぜ、彼の上に振りまく。もう1羽の鳥については、これを自由の身にし、自然の中に放つ。この格差は何を意味するのだろか。1羽が自由になるためにもう1羽が死ななければならないとは。それは、私たちの為に払われた主イエスの犠牲を意味するのかも知れない。この世界は、善と悪、清さと罪、生と死が交錯する世界であり、この世界における問題解決というものは、常に根本的なものではなく、誰かが罪の代償を支払うことによるということなのだろう。
 その後、彼は宿営の中に入ることができるが、自分の家に入る前にさらに7日間を家の外で過ごす必要がある。その後彼は体と着物を洗い、2匹の雄の小羊と1匹の1歳の雌の小羊、さらに穀物の捧げものが必要となる。一人の人が汚れから解放されるために、このように多くのことが必要とされているところに、むしろ聖書における人1人の命の重さが伺われる。
 しかしその人が貧しい境遇の場合には、これらの捧げものが軽減され、小羊は鳩で代用できることになっていた。しかしそれにより彼の購いが中途半端にされることはない。
 さらに家の壁等に生じたライ病への対処について書かれている。ライ病の元になる菌は、家さえも蝕む恐ろしいものだったのだろう。人はそのような恐ろしい危険といつも隣り合わせで生きていたのだ。
 しかしこのような状況は、現代を生きる我々も同様だろう。いやむしろ現代はさらに恐ろしい病気や環境破壊が出現して、我々とその子孫の存続を危うくしつつある。
 時代を通じてこれらの状況を作り出しているのは神である。人間の目には、時代毎に新しい困難が偶然に生じてきているように見えるかもしれないが、聖書はそのように考えてはいない。すべてを支配しているのは神であり、悪魔さえも神の許しの中で存続し、その御手の中で活動しているのだ。それゆえ、ライ病も癌も自然災害も地球温暖化もすべては神の御手の中に生起し、神の許しの中で私たちに危害を及ぼしているというのが聖書的な考え方だと思う。だから私たち信じる者には、いつも希望がある。どのような困難な状況の中にあっても、信じる者はそれらの状況に依存せず、ただ神の支配と導きを祈り求めるのである。
 父なる神さま。あなたの主権を褒め称えます。

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