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2006/07/31

神の聖さ

レビ記 第10章

 アロンの子ナバブとアビブは、それぞれ香炉に香を入れて持って行き、主の前に定められたものとは異なる火を捧げたところ、主の前から火が出て彼らは焼け死んでしまった。神はモーセを通して言われた。「私は、近づく者によって聖別され、すべての民の前で讃えられる。」
 神に近づく者は様々であり、清い人もそうでない人もいる。しかし、神は近づく人がだれであろうとも、それらの人により聖とされるのだ。もし清い人が神に近づけば、その人をさらに清めることにより、また、清くない人が近づけば、その人が耐えられずに滅び去ることにより、いずれにしても神の聖いことが明らかになるのだ。
 アロンは、このモーセの言葉により、神が自分や民族に対して怒られたのではなく、ナバブとアビブの清くない行いが彼らを滅ぼした原因であったことを知って、祭司としての一応の平安を得たのであった。
 神は、怒って人を滅ぼされるようなお方ではない。神の前に死んだ者たちは、自らの中にすでにその原因を懐胎していたのだ。そして、その者たちが神に近づこうとする限り、そしてもまた神が神である限り、彼らを滅びから救う手だてはない。彼らが清くないままで、汚れた方法で神に近づくとき、神の聖さの前に、彼らは害を受けざるを得ないのだ。
 しかし、いったい誰がこの聖なる神に近づけるだけの清さを持っているだろうか。否、この地上の誰もそのような清さを所有してはいない。神がモーセを通して命じられた祭儀は、人が神に近づく上での隠れ蓑に過ぎないのだ。神はかつてモーセをご自分に近づかせられたとき、ご自身の両手で彼を覆われた。モーセが神を直接見ることのないためである。
 しかし神は、預言者を通して、「私は、あなた方の只中に住む」と言われた。このことを実現するために、神はイエスという一人の清い人となられたのだ。
 父なる神さま。あなたの知恵と決断は、何と偉大なことでしょう。

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