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2006/07/21

「イエス」:第二章 イエスの宣教・神の支配の到来 第一節 救いの呼び声と悔い改めの呼びかけ

 イエスは、神の国の福音を述べ伝えた。「福音」とは「良い知らせ」である。しかしこの「良い知らせ」とは、ブルトマンによれば、単なる「告知」ではなく「終末論的な告知」なのである。その意味は、福音を聞いた者が、ただ喜ぶだけではなく、彼に終末が迫っており、そのために「応答の義務」が生じるということだ。そして再びこの「応答」ということが、単なる「はい、ありがとう」ということではなく「はい、従います」ということなのであり、そしてさらに「従います」ということが「賛成します」ではなく「御心を行います」でなければならないというのがブルトマンの主張である。このように、人間の言葉というものは、どうしようもなく曖昧なものであり、同じイエスの言葉でも、それへの従い方には、実に様々なものが想定されてくる。律法学者たちが、神の戒めをさまざまに理解したのは、このような言語の曖昧さにも起因するだろう。これに対して、イエスは律法の完成者であり、彼によって神の御心が明らかに啓示されたということならば、我々はイエスの言葉の中に、それをつかまなければならない。
 そこでブルトマンによると福音は「悔い改めへの呼びかけ」であり、それは「神の支配への招待」なのである。福音は「新しい皮袋」に入れるべきであり、福音を聞く者は、新しい皮袋とならなければならない。そしてその意味は、この「福音」という言葉を、今まで私たちが親友たちの直中で、また家族たちの直中で、また信仰の兄弟姉妹の直中で聞いてきたのとは、まったく違う方法、つまり神と一対一の状態で聞くことなのである。

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