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2006/07/13

購いのシステム

レビ記 第8章

 神は、先にモーセを通して民に、人を罪から清めるための捧げ物の方法を教えられたが、次にそれらの手順に従って、祭司であるアロンとその子らの清めの儀式を行わせられた。
 清めの手順を知るということと、それを実際に行うことの間には、大きなギャップがある。なぜなら、知ることにおいては、特に気をつけることはないが、それを実際に行うことは、命がけだからである。
 アロンは、この儀式を完成させるために、会見の幕屋の入り口で、7日間留まって神に仕えなければならなかった。その間、少しでも不適切なことを行えば、彼を待っているのは死であった。このような極限の緊張感に、祭司は一人耐え抜かねばならなかった。神は、イスラエルの民一人一人にではなく、その代表者としての大祭司に、この大いなる務めを行うことを要求されたのだった。
 アロンが耐え抜いた7日間の7は、完全数であり、神が宇宙を創造された日数を通じて、「永遠」を象徴しているのだろう。そして、それらはまた、キリストが歩まれた、神の前に完全なものとしての公生涯とそのクライマックスとしての最後の7日間をも表しているのだろう。
 アロンの献身により、イスラエル民族全体に、罪の赦しを可能とする精巧なシステムが実現したのであった。このシステムの運用は、祭司が忠実にその職務を遂行する限り容易であり、それにより、すべてのイスラエル人が完全な罪の赦しを受けられるものであった。神が与えてくださるものは、いつでもまたそれがどのようなものであっても、完全で麗しいものなのだ。
 しかしそれらの麗しいシステムを遙かに凌ぐ、最高の贖罪システムが現れた。それが主イエスの十字架と復活であり、神は、信じる者すべての大祭司として彼をお立てになり、その公生涯における多くの苦しみを通じた徹底した従順により、永遠の救いのシステムを完成されたのであった。
 父なる神さま。主イエスの購いを、私たちが軽んずることがないようにお助けください。

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