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2006/07/11

清い捧げ物

レビ記 第7章

 神は、モーセを通してイスラエルの民に、罪のための焼き尽くす捧げ物に関する規定を示された。
 それらは、神に受け入れられるもっとも清い捧げ物であった。すべての男子の祭司は、それを清い場所で食べることができた。しかし祭司以外でそれを食べるものは、民の間から絶たれねばならなかった。
 この「罪のための捧げ物」という概念は、非常に特殊なものだと思う。キリスト教以外のどの宗教に、このような概念が存在するだろうか。
 「罪」自体は、汚れたものであり、限りない矛盾ですらある。神は清いお方であるから、人の罪にアプローチできない。もしアプローチするなら、それは罪人の死を意味する。私たちの神は、「実に、焼き尽くす火である」からだ。しかしここに、「罪のための捧げ物」という概念が登場する。そしてそれは、捧げ物の中で最も清いものである。それが清いものであるゆえに、それは神に受け入れられることができる。この世界でただ人だけが、神の前に罪を犯すことができる。しかし、たとえ清い、傷のない動物であっても、その捧げ方が神の御心に叶わなければそれは、清い捧げ物として受け入れられない。そこでレビ記に、捧げ物についての細かい規定が記されたのだろう。この捧げもの自体は清いという概念、そして、それを捧げる方法や姿勢も清くあらねばならないということ、それらのすべてが、私たちクリスチャンがキリストに完全に購われ、彼を信じて神の作品としての清い生活をおくるための真理なのである。
 父なる神さま。主イエスを信じ、あなたの前に、清い歩みができますように。

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