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2006/04/28

幕屋

出エジプト記 第26章

 神はモーセに、契約の箱を安置するための幕屋の造り方を啓示された。
 「幕屋」それは、神がこの世界に臨在される場所の、考え得るもっとも完全な形と言えるだろう。それは建物ではなく場所つまり「他から遮断された空間」なのだ。神がこの世界にご臨在を現そうとされる場合、そこは私たちから遮断された場所とならざるを得ない。神は「目に見えない」という性質を持っておられる。つまり私たちの認識のすべてを越えていらっしゃる。だからもし神と呼ばれるものが目に見えたなら、すなわち認識できたならば、まさにそのことによって、それは神ではないということになろう。
 神がご自身を現そうとして示された場所は、豪華絢爛な神殿でも堅固な砦でもなく、そこは実に「幕屋」であった。神はこの幕屋を通して、イスラエルにできうる限り近く、できうる限りいつでも、共に過ごされることを望まれたのだ。
 この「幕屋」は、後にイスラエル民族が約束の地に入り、そこに定住してからは「神殿」にとって替わることになる。そして、主イエス・キリストに至って、その本当の意味が明らかになる。それは、人そのものを表している。神がご自身に形どって創造されたこの人間のことなのだ。
 神は、ナザレのイエスという一人の人を選び(あるいは天から下らせて)その人という幕屋の中に住まわれた。そして、ナザレのイエスの行くところどこにでもご自身を持ち運ばれた。そのことを通して、神はイスラエルの直中に住まわれたのだった。
 私はあえてこう言いたい。神がこの地上で、ナザレのイエスという一人の人となられたということこそが、聖書全体を通してもっとも決定的なことなのであり、このことに比べたら、十字架も復活もある意味で付け足しに過ぎない。というか、それは受肉を、すなわちイエスが神であることを証し、その意味を説明するものであり、「証しするもの」は「証しされるもの」のために存在するのである。
 「神が人と成られた。」このことの中に、私たち人間と全宇宙の運命が掛かっている。このことのために神は、エジプトからイスラエル民族を導き出して、荒野で彼らに幕屋の設計図を啓示され、ご自身その中に住まわれたのである。
 そしてそのことは、再び私という一人の人間にとって決定的なこととなる。というのは、神があのナザレのイエスを神の子と定められた(ローマ書1:4に書いてある文字どおりの意味において)のは、彼と同様に、彼を信じるあなたが神の子、神の子孫であるという事実をあなたに教えるためだったのだから。
 父なる神さま。私たちがあなたの子であり、子孫であり、私たちの国籍が天にあることを教えてください。

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