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2006/04/19

奴隷

出エジプト記 第21章

 神は、モーセを通して日常の具体的な秩序を律法として民に与えられた。しかし、荒野を歩んでいたイスラエルの社会にすでに奴隷がいたのだろうか。もしかすると、少し前のアマレク人との戦いにより、彼らを奴隷としていたのかもしれない。もしそうだとすれば、奴隷となった彼らが持っていた因習や異境の神は、イスラエルにとって後々の誘惑となったことだろう。あるいは神は、将来イスラエルの民同士が互いの自分自身や子供を売買しあうようになることを予期しておられたのかもしれない。
 しかし奴隷とは、もともとイスラエルの民自身の身分のことである。神は、この奴隷の身分から大いなる御業により彼らを解放し、天使の翼に乗せて彼らを御自分の元に連れ戻されたのだった。だから、もはやイスラエルの社会には奴隷というものがあるべきではないのではないか。しかし、神が奴隷のための律法を定められるならば、また奴隷をも容認されたということなのでなないのか。何ゆえ神はそのようにされたのだろうか。それは、考えるに、彼らはすでに奴隷から開放され、もう再び奴隷にはなるべきではないのだが、奴隷であったころのことを忘れてはならないということではないだろうか。
 出エジプト記全体、いや旧約聖書全体、いやあえてこう言おう、聖書全体を貫いている真理は、人生は絶えざる戦いであるということだ。戦いである以上、そこに常に敵がいなければならない。敵と戦って勝利することによってのみ、私たちは祝福を手に入れることができるのだ。
 父なる神さま。主イエス・キリストにより、私たちの信仰の戦いを支えてください。

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