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2006/03/18

頑なな心

出エジプト記 第8章

 先の二つの災害は、直接ファラオの家を脅かすものではなかった。ファラオが心を変えてイスラエルの民を解放しないので、神はさらに二つの災害をエジプトへ送られた。
 それらは、平民から王までに一様に被害をもたらすものであったため、ファラオも身にしみて、一度はモーセに民を去らせる約束をした。しかし、モーセが神に取りなし、ひとたび災いが過ぎ去るや、ファラオは再び心を頑なに交え、民を解放するまでには至らなかった。
 出エジプト記に記されている、ファラオとモーセたちのこの一連の攻防の示していることは、一貫して、人の心は試練によっても良くなることはなく、決して変わらないということである。それは虚無であり、無から有は生じないのと同様に、それ自体は決して良くなることはなく、まして神のような心には成りようがない。
 私たちの内にファラオが住み、統治している。彼は、どのような試練にあっても、学問をしても、修行を積んで悟りを開こうとも、決して神に従うことはない。彼の心は、正に神の正しさを知ることにより、頑なになるのだ。ああ、何という狂騒だろうか、彼を救えるはずの神ご自身が、彼が心を頑なにする主要な原因となってしまうとは。
 これが、旧約聖書全般を通して神が語っておられることなのである。そして、その頑なで救いようのない人の心の王国を治めそこに神との平和をもたらすために、神は、ご自身の御子、主イエス・キリストを遣わされて十字架に架けて殺し、3日目に甦らされたのである。ここにおいて、私たちの頑なな心は主イエスと共に十字架につけられたのである。
 父なる神さま。主イエス・キリストにより、あなたに従順な心をお与えください。

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