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2006/03/01

アブラハム、イサク、ヤコブの神

創世記 第47章

 ヤコブは、エジプトの王パロの前でかれの生涯を振り返って語った。「私の人生は、実り少なく苦しい生涯でした。その齢は、私の父たちの長さには及びません。」彼は、神が彼の父たち、すなわちアブラハム、イサクのゆえにどれほど彼を守り、祝福されたかを十分に理解していなかった。そのことは、たぶんヤコブの罪として神の前に数えられただろう。彼は、パロの前でアブラハム、イサク、ヤコブの神を高らかに誉め讃えるべきであったのだ。
 イスラエルがその後、エジプトで奴隷となる運命を辿らざるを得なくなるのは、もしかしたら、このヤコブの罪のためなのかもしれない。もし、ヤコブが全能の神をその子孫にしっかりと示していさえすれば、イスラエルには、あるいはもっと違う繁栄が用意されていたのではないかと思う。というのは、アブラハムへの神の約束が「奴隷の身分」とは、どうしても不自然に思えるからである。
 しかし、そのようなことはあっても、神のイスラエルに対する哀れみは大きかった。エジプトに飢饉が続き、やがて国民が、自分の家畜や家、土地、そして自分自身までも、食物と引き替えに国王に捧げなければならなくなっても、イスラエルには、国家からただで食物が供給された。つまり、このころには、エジプト国民全体が奴隷化されてしまい、自由人はイスラエルの民以外にいなくなってしまった。そして、エジプトにヨセフのことを知らない王が起こるに及んで、初めてイスラエルの民が奴隷となったのだ。しかし、それは彼らがエジプトを脱出する一つのきっかけであり、そのような圧迫がなければ、イスラエルの民は、エジプトを出ることはなかったのだろう。そして、彼らが星の数のように増え広がり荒野に歩み出たとき、神がアブラハムと結んだ契約は、成就したのであった。
 父なる神様。旧い契約の祝福を教えて下さい。

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複数の契約

創世記 第46章

 ヨセフがまだ生きていることを知ったヤコブは、エジプトへ行く決心をした。彼は、まず何をおいても、父イサクの神に犠牲を捧げた。その点、ヤコブは非常に神に忠実であり、ここに神がヤコブを選ばれた理由がある。
 神は、夜の夢の中にヤコブに現れ、将来のご計画を彼に語られた。それをたぶんヤコブは理解できなかっただろう。なぜなら、神はイスラエルをエジプトで奴隷にしようとしておられたのだから。神は、アブラハムにはそのことを明らかにされておられた。しかしヤコブには、そのことを明らかには示されなかった。ヤコブには、自分の息子を神に捧げるような信仰はなかったのだろう。それはイサクにもなく、信仰の父アブラハムにこそ見られるものだ。それでは、神はなぜ「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言われたのだろうか。それは、神がアブラハムと結ばれた契約によっている。旧約聖書と一言で言っても、そこには実は、複数の契約があるのである。最初の契約は、神がアダムと結ぼうとされたものだったが、これはアダムの堕罪により締結に至らなかった。そこで、神は一人の正しい人ノアを通して、全人類と最初の契約を結んだ。そして、2回目に神は、アブラハムと彼の子孫を含め3代に渡る契約を結ばれた。そして次には、神の人モーセを通して、荒野で、星の数のように増えたイスラエルの民と契約を結ばれたのであった。
 父なる神様。あなたの契約の深い意味を教えてください。

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