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2006/01/31

従順の結果

創世記 第30章

 この章には、2つの出産について書かれている。一つは人の出産、もう一つは羊の出産である。共にそれを支配しているのは神であり、人の力の及ぶところではない。
 ヤコブは聖書の記述によると、14人の息子と1人の娘を残したようだが、その実状は、相争う妻たちに追いまくられるような子孫の残し方であった。それでも、たくさんの子供に恵まれ、彼は幸福だったことだろう。神はそのように彼を祝福しておられたのである。
 しかし、羊の出産に関しては、神はヤコブにすべてを任せておられるようだ。ヤコブがブチとマダラのものを産むように意図するとそのようになった。
 これは、ヤコブがそれを操作していたのではない。神がヤコブに幻を示し、ヤコブはその通りに行ったに過ぎないのだ。神に祝福されるとはそのようなことなのだ。
 神が祝福される者は、彼が行くところどこにおいても、すべてうまく行くように見える。しかし事実は、彼は神の示されるところに歩んでいるのである。そこには、結果としての祝福が伴うが、神に従うこと自体には、大いなる忍耐が必要となる。
 ヤコブは、叔父ラバンのところで14年も仕えた。それは、まことに忍耐の年月であった。それと同時に彼は、妻たちの板挟みとなり苦労した。それにも忍耐が必要であった。
 上述の2つの出産は、それゆえ、共に神の御手から出たことであった。
 父なる神様。どんなときにも、どこへでも、ただあなたの御意志に従い行かせてください。

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歴史のルーツ

創世記 第29章

 父母の元を出て故郷へ旅立ったヤコブに神はご自身を現し祝福の約束を与えられた。ヤコブは神の言葉に、もし私を祝福し、守り、父母の元へ無事に帰して下さるなら、主を自分の神とすることを約束した。
 しかし、神はヤコブに仕えてもらわなければならないようなお方ではない。神は、ヤコブとの約束を守りながらも、独自のご計画を持っておられた。神は、アブラハムにお与えになった、「あなたの子孫は、星のようになる」との約束の実行を開始された。ヤコブに4人の妻を与えることによって。そして彼女らから12人の首長たちが生まれてきた。彼らが、イスラエルの広大な歴史のルーツとなるためである。
 父なる神様。あなたの高い高いご計画を聖霊により啓示してください。

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天の梯子

創世記 第28章

 ヤコブに祝福をだまし取られたエサウは、イサクが死んだらヤコブを殺そうと企てた。その危険から逃れるため、ヤコブは一時的に住み慣れた家を離れなければならなかった。それはヤコブにとっては一つの試練であった。
 神はご自身と関わる者を、いつも荒野に連れ出され一対一で語られる。それは、彼だけに見える形でご自身の栄光の計画を示すためなのだ。神と出会うために、人間はすべてをすてて完全に一人にならなければならないのである。
 神は、用いようと思う者を試練の中で祝福されるのであり、神の祝福は試練の内に隠されているのである。そしてその祝福とは、天に伸びた梯子であり、イエス・キリストご自身を我らに与えられることなのである。
「あなたは、御遣いたちが人の子の上に上り降りするのを見るであろう。」
 父なる神様。ただ主イエス・キリストをお与えください。

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神の選び

創世記 第27章

 イサクは、自分の余命が短いことを感じ、エサウを呼んで、死ぬ前に彼を祝福しようとしていることを告げ、自分の好きな鹿料理を所望した。しかしそのことを聞き付けたリベカは、エサウが鹿猟へ出かけたすきに、ヤコブと組んでイサクをだまし、長子の祝福を奪ってしまった。リベカは、エサウよりヤコブを愛しており、またエサウの嫁たちを嫌っていたので、ヤコブに長子として家に残って欲しかったのだ。
 このことは、神から出たことであり、エサウはその通りに振舞ったのであった。エサウに長子の権利を受け継ぐ道はあったのだろうか。それは、エサウにとっては、充分その可能性が与えられていたと言えるが、神にあってはその可能性はなかったと言える。それは、エサウが彼自身の意志でそのような選択をすることが定められていたからであり、これが神の主権なのである。
 神は、人間の自由意志を制御される。しかし、それはあくまで自由意志の範囲でのことであり、神の主権は、私たちの心の上に及んでいるのである。
 父なる神さま。私の心をみちびき、生涯を通してあなたに従い行かせてください。

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