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2005/12/31

選び

創世記 第25章

 イサクから2つの民族が生まれた。そして、兄は弟に仕えることになると神は言われた。これは、神は兄よりも弟を祝福するという意味であり、それは兄弟それぞれの生き方によるのではなく、神の主権によることであった。
 ここに一つの法則があるのを見る。それは、神は皆を平等に祝福されるのではなく、祝福すべき者を選ばれるということである。
 なぜ神は皆を祝福なさらず、祝福する者を限定されるのか。それは、神がこの世に対して働いておられるからである。神は良い者の上にも悪い者の上にも等しく太陽を昇らせ、また雨を等しく降らせてくださる。しかし日の光を受け、雨に当たった物は、それぞれ異なった祝福を受けざるを得ない。
 神は、ヤコブにもエサウにも同じように祝福を与えようとされる。しかし、エサウは、自分に与えられていた長子の権利を軽んじてしまったのであった。そして、聖書が主張するのは、それが再び神の選びのご計画であったということである。
 父なる神さま。私があなたの恵を受け取ることができるようお助けください。

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聖なる人生

創世記 第24章

 アブラハムが非常に歳老いたとき、彼は初めて息子イサクの結婚のことを考えた。聖書に出てくる多くの勇士に共通して言えることは、彼らが自分のことで精いっぱいであり、決して良い教育者ではなかったということである。これは、勇士にとっての宿命なのだろうか。それとも、人はそれぞれ独力で人生を究めなけめばならないということなのだろうか。いや、たぶん人は他人の助言からは有益なことを何も学ことはないということなのだろう。
 私たちは、先人たちの信仰の生涯を見て、そこに神がどのように働かれ、彼らを祝福し、ご栄光を現されたかを知り、自分の生涯にも神が良きことを成してくださることを期待するのだ。そのとき、私たちの人生は、先人たちの人生の延長なのであり、それは、堪えることのない、神の栄光の現れなのである。
 そのようにイサクの人生は、父アブラハムの人生の継続であり、神はご自身を「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれた。そして、このような二つの聖なる人生の継目を、神はいつも奇跡的なセレモニーで飾られることを好まれるのである。
 父なる神さま。私がアブラハムから始まるあの聖なる人生に繋がることができますように。

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