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2005/12/22

必然的な奇跡

創世記 第22章

 神がアブラハムに与えられた試練は、3日に渡るものであった。この3日は、キリストが墓の中にいた期間でもあり、回復の希望が消え去る期間である。アブラハムはこの3日の間に、死の苦しみを経験したに違いない。彼は、ゲッセマネのキリストのように、全世界の苦しみを一身に負ったのだ。彼の腰から、全世界の契約の民が出ると約束されていたのだから。
 3日目にモリヤの丘が見えたとき、アブラハムの口から発せられたのは一つの預言であった。彼と息子は、あそこで神を礼拝して、再び戻ってくるという。それは、アブラハム自身の経験とも矛盾しないものであった。しかしその成就への道筋は謎に包まれており、その行程のどこかで奇跡が起きざるを得なかった。
 アブラハムの信仰の前には、奇跡はすでに必然的なものになっていたのだ。そして、神の人にとって奇跡はそのように等しく必然的なものなのだろう。
 父なる神さま。奇跡が必然となる程の信仰と従順をお与えください。

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契約の代行者

創世記 第21章

 アブラハムは、100歳になって子を授かった。このことは、その時代の人々にとっても脅威的なことだったのだろう。それは、神のみが成せる業であった。だから、このことによって周りの人々は、アブラハムを恐れるようになった。神がアブラハムに大いなることを成されたからである。
 そのときハガルとその子供がアブラハムの元から追い出された。それを見て、アビメレクは神がアブラハムを通してこの地に裁きを行なわれる可能性があることを知り、彼と契約を結ぶ為にやってきたのだろう。
 このアブラハムとアビメレクの間の契約は、神とアブラハムの間の契約になんと似ていることだろう。それは対等とは言えず、アブラハムからアビメレクへの好意の契約なのだ。そう、それはアブラハムを通してはいるが、神とアビメレクとの契約なのだ。だから、そこに一点の曇りも許されない。アビメレクは、自分の預かり知らない過去の過失をアブラハムに精算しなければならなかった。それは、神とアブラハムとの間の重要事項に属していたからである。
 父なる神さま。あなたを信じる者を通してこの世界があなたと平和の契約を結ぶことができますように。

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