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2005/12/10

人の行い

創世記 第20章

 私たちは、この世界を生きるとき、様々な係わりの中に投げ込まれる。その際、私たちは一時的な戦略の中に妥協してしまうことがある。アブラハムは、自分の妻を妹と偽ることにより、状況に対処しようとした。
 しかし、それはその地の王アビメレクの命を危うくし、彼の反感を買う結果ともなった。神がアブラハムを助けられたので、彼はこのことにより害を受けずに済んだ。
 神はご自分を信じる者をこの世界にあって、このように手厚く取り扱われる。彼がしでかす失敗を神は、ご自身の責任において修復し、さらにそれをさえ用いて、信じる者に祝福をお与えになるのである。だから私たちは神のためには自ら何も良いことを行なうことができない。ただ神のみが良いことを私たちに行なわせることができるのだ。
 父なる神さま。私がただあなたの指示により、良いことを行なうことができますように。

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この世に住むこと

創世記 第19章

 全能の神の使いがロトの元にやってきた。ロトはそれに気づいて、自分の家に迎えようとしたが、彼らはそれを断った。ロトは神を知っていたが、この世的な環境に住んでいたのであった。神は、ロトが住んでいた環境には入りたいと思われなかったのだろう。
 それでもロトが強いるので、神は彼の家に入られた。神は人の願を聞いてくださるお方なのである。
 神はソドムの街に対する裁きの計画をロトに語り、ロトはそれを親戚に告げたが彼らはそれを信じなかった。彼らの罪が彼らの目を見えなくしていたのであった。
 次の朝、神はロトに山へ逃げるように指示したがロトはそこを惜しんで神に請い、一つの街へ逃げ込むことを許された。彼の妻はその後も以前の生活を惜しみ、後ろを振り返ったために塩の柱になってしまった。
 神は、予告されたように、ソドモに裁きを行なわれた。神のご計画は、変えることはできない。もしそれが変わるようなことがあれば、神はそのことをも計画しておられたのである。
 ロトは、災害から救われた後は、山地に住んだと記されている。それまでの彼の人生により、何が大切なことかを悟ったのだろう。しかしそれは、なんと回り道の人生だったことだろう。彼は、自分の妻さえ失ってしまったのだから。
 人が神に従って生きようとするなら、アブラハムやロトのように、この世から離れたところに住む他はないのかもしれない。だから神は、イスラエルを荒野に連れ出されたのだ。しかし、もし人がこの世に交じって生きることがあるいとすれば、それはただ一つ、神のためでなければならない。そのとき、神はその人に特別の恵を与えてくださる。聖霊の油注ぎかそれである。
 父なる神さま。私たちがこの世に交じって住み、福音を述べつたえるために、聖霊の油注ぎをお与えください。

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顕現

創世記 第18章

 アブラハムの元に全能の神がやって来られた。どうして彼にそれが分かったのだろうか。それは、彼がすでに神を知っていたからだ。神を知っている者のみが、神が来られたときにそのことを知ることができる。しかしもし神がある人のところに来られるとすれば、それは偶然通り掛かったのではなく、目的を持って来られるのである。
 神は、これから行なおうとしておられることをアブラハムに告げられた。神はそのことを実行に移される前に、アブラハムの同意を求められたのであった。そして神は、この件に関して、アブラハムの要望をすべて聞かれた。しかし、神のご計画は、100パーセント実行に移されたのであった。神は、アブラハムを無視されたのではなかった。むしろ神はアブラハムの言わなかったことまで汲み取られ、ロトとその家族を裁きから救いだされたのであった。神の主権と真実、哀れみは、そのように調和しているものなのだ。
 この世界のことがらは、同時に成立し得ないことが多い。しかし神の世界では違う。そこでは、すべてのことが同時に成立する。神のご計画は、私たちの自由意志と決して矛盾しない。だからもし私たちが神の御心、すなわち善を求めるならば、私たちは神に対して確信を持つことができる。
 父なる神さま。あなたの高いご計画がどのように実現するのかを私たちが見ることができますように。

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