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2005/09/23

寿命

創世記 第5章

 大昔の人々は、概して長生きだったらしい。800年以上も生きて息子、娘を生んだと記されている。しかし彼らの寿命が緩やかに短縮されているのを見るとき、この世界が破滅に向かっているのが感じられる。
 人間は胎内では、おたまじゃくしのようなエラのある状態から進化の過程のような変態を経て生まれて来ると言われるが、ひとたび生まれると今度は急に死に始める。実際に一日に何千という脳細胞が死んでいくらしい。
 この世界の存在は、正にエントロピーの法則により、自らが造られた源なる土の塵に戻って行こうとしているかのようだ。それというのも、神が計画しておられた教育計画の途中で。アダムたちがエデンを追い出されたからだ。「二人は一体となる」と言われていたのに、そうなる前に神は彼らを追放せざるを得なかったのだろう。神は十分な教育を施した後に、彼らに命の木の実を与え、彼らに永遠の命を与えようとされていたに違いない。しかし神は、罪を犯したアダムがそのようにならないように、ケルビムと回る炎の剣を置かれたのだった。
 そのように考えると、へびさえ今までとは違うように見えてくる。エゼキエル書28章に書かれているように、神は彼を全き者の典型として造り、あらゆる宝石で覆い、聖なる都で神を賛美する楽団の長として創造されたのだった。そのように神は、このエデンという都に大いなるご計画を持っておられた。そこからは、全地に向かって命の河々が流れ出し、あらゆる宝石を産出し、神を称える賛美が奏され、地上のすべての人がそこを訪れ、命の木の実は毎月実り、諸国の民を癒す。アダムとエバは、その王と王女となるはずだったのかもしれない。しかし、へびは自分があまりにも完全なものに創造されたので、自分が仕えるべき者たちが現われたことに絶えられず、彼らをおとしめようとしたのだろう。
 もしアダムが罪を犯さなかったなら、キリストの十字架は不要だっただろう。キリストは、この世界に罪の肉の様で下る必要もなく、エデンの都で直接にアダムと会い、彼のすべてのすべてとなっておられたことだろう。この考えは、非常に突飛な考えに見えるかもしれないが、予定論から開放されるため、とくにウェスレアン・アルミニズムにとっては、有効なものではないだろうか。
 父なる神さま。私が、聖書に何一つ付け加えることがありませんように。

 

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