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2005/09/21

宣教

ローマ人への手紙 第15章

 福音は、世界の果てにまで宣べ伝えられる。そこには、私たちと習慣を異にするたくさんの人々がいる。酒飲み、煙草飲みはおろか、人喰い人種さえいるかもしれない。
 しかしパウロは前の章で断言する。「それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。」
 神の前に汚れている民族自体は存在しない。汚れているのは、いつも個々人の思いと行いなのである。
 私たちは自分を含めて、裁かれるのは、その時々の行いなのである。
 主イエスさま。すべての時において、あなたに従えますように。

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ローマ人への手紙 第14章

「すべて信仰によらないことは、罪である。」

 罪とは神の御旨から離れることである。キリストも「あなた方は私を離れては、何一つできない」と言われた。そして、キリストもすべてを父から聞いてその通りに行っておられた。
 このことを理解する必要がある。すなわち、自由意志は、自分の考えで行動するために与えられているのではなく、ただ神に従うために与えられているということを。もし、すべてにおいて神に従うのなら、何のための自由意志なのか。それはまさに捨て去るためなのだ。
 「捨て去ること」それ自体は、無意味な行為であり得る。しかし、神のために捨て去ることは、「犠牲」であり、「捧げもの」であり、「礼拝」である。
 私たちの生活の全体が、礼拝となる必要がある。ちょうどキリストの生涯のように。そうなったとき、私たちの死さえも、犠牲、捧げもの、礼拝となり得るだろう。
 私たちがすべてを、自分の意志さえも神に捧げてしまうとき、私たちには何が残るのだろうか。いや、私たちは何も失っていない。あなたはそのときも神の前であなたのままであり、神との関係で失ったものは何もないばかりか、あなたは神ご自身を斯業として受け取るのである。古のレビ人たちのように。
 主イエスさま。私の受ける分は、ただあなたです。

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