« 2005年9月17日 | トップページ | 2005年9月21日 »

2005/09/20

権威

ローマ人への手紙 第13章

「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。」
 殆どのクリスチャンは、このことを認めるだろう。しかし、だからと言って、それらの権威に従うことには、大いなる不安を抱くことだろう。ここに信仰者の戦いがある。しかしその戦いは、実は自分の信仰に関する戦いである。
 もし神が存在するなら(もちろん神は存在するが)、すべての権威は神により立てられ、それに従うことにより、私は神に従うことになる。逆に、そうならないなら、この世の権威は神に立てられたものではなく、神もまた存在しないことになる。
 私が私の所属する部署の権威に神により従うとき、私は神の権威の一連の階層構造をそこに具現化させることになる。この権威の階層構造のトップは神であり、その末端は神の子なる私となる。そのとき、神から私に向かって聖なる指令が発せられ、私の上にいる者もこの指令に従うことになる。
 極端な見解かもしれないが、信仰者の生きざまは、神の存在性さえ証しするものであり得るのだ。
 主イエスさま。あなたの立てられた権威に、天使のように従うことができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

洗足

ローマ人への手紙 第12章

 「むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であり、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」

 神の御旨にかなう生き方をするためには、まず心を新たにして造り変えられなければならない。私たちが生まれてから今までに培ってきた価値観、思考習慣等々は、あまりにも偏っていて、それによっては神の御旨に到達できない。そこで、私たちはまずそれらをすべて捨ててから、自分の十字架を負って、主イエスに従うことが必要となる。
 それはまず、何でも知ろうとしないこと。神が私に日々与えられる知識を受け取り、その範囲で思考し、行動すること。次に、世界を広げようとしないこと。私の今の生活範囲に神からの使命を見出し、自分のポジションを精一杯守ること。最後に、私の思いを神に委ね、神から来る喜ばしい、活性的でかつ慎み深い態度を身にまとうことである。つまり、私の人格のすべてを神に捧げ、神のロボットと化すことである。
 しかしそれは実は不可能である。私が神のロボットと化すのを、神はお許しにならない。神は返って、私に自由意志を返却し、万物と永遠の命を賜り、ご自身が私の召使いとさえなろうとされるのだ。ちょうどキリストが弟子たちの足を洗われたように。
 主イエスさま。私の足を、決して洗わないでください。しかし、どうしてもそれが必要なら、頭まで洗ってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年9月17日 | トップページ | 2005年9月21日 »