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2005/09/15

イスラエル

ローマ人への手紙 第9章

 イスラエルは、神に選ばれた民である。しかしそうでありながら、彼らは歴史を通じて神に背き続けてきた。そしてそれは実は神のご計画であったとパウロは言う。
 エジプトの王パロのように神によって頑なにされた民イスラエル。「彼らは、躓きの岩に躓いた」とパウロは言う。そして神には、或る器を良いものに、他の器を悪いものに造る権限があるという。しかしパウロはまた、その躓き倒れようとする同胞のためなら、自分が代わりに呪われて、キリストから離されても厭わないと言うのである。
 このような背景から、「死後にも救いのチャンスがある」という非凡な見解が生まれてきた。聖書は、その可能性を否定していないようにも見える。キリストご自身が、黄泉に下って福音を宣べ伝えたと言われているから。
 しかしそれなら何も、あくせく宣教する必要はないということになってしまうように思える。
 私たちがこの世の知識で考えることには非情な限界がある。そこには、多くの迷宮への入り口があり、私たちが自分の考えで解決を模索する限りそれから逃れられない。大切なことは、聖書の一見矛盾と見られる記述の中に自らを置き、神と対話しながらそこを生きることではないだろうか。
 主イエスさま。聖書の奥義を教えてください。

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解放の力

ローマ人への手紙 第8章

 私たちを罪から解放する力は何だろうか。それは、神の全能の力である。キリストを死から蘇らせた、不可能を可能とする力である。
 この力が私たちの内に働き、罪に死んでいた体と心が生き返るのだ。しかし、その神の力は、私たちの信仰を通して働くのである。
 私たちは、キリストの復活を信じ、その力があるゆえに、自分の人生に死に、もはや自分の考えからは何もあえて行わないで良いと知るのだ。それはつまり、私たちが父なる神の子となることに他ならない。
 子となるとは、「アバ父よ」と語る身分、すなわち、人生におけるすべてのものを自分で得るのではなく、ただ父なる神からいただくということだ。
 これは、人生の大いなる転換であると共に、また大きな驚きでもある。私たちは、人生は自分で切り拓くものだと教えられてきた。しかし今は、すべて一つ残らず神からいただくものだと教えられるのである。
 主イエスさま。あなたの子となるということの意味を教えてください。

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