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2005/09/13

罪からの解放

ローマ人への手紙 第7章

 罪から解放されることは、何とすばらしいことだろうか。聖書には、「罪はもはやあなたを支配しない」と書かれている。しかし、このことが起こるためには、私たちが真に主イエスの恵みに与る必要がある。
 どのようにして罪から解放されるのか。パウロが提示しているのは、私たちがこの世に対して死ぬということである。そして、この世に対して死ぬとは、すべての望みを捨てることに他ならない。
 つまりこの世には、有益なものは何も無いと見なし、私たちがこの世からもはや何一つ得ようとは思わなくなること。それがこの世に死ぬということだ。
 しかしもしそうなら、この世は、何のために存在するのか。むしろ、この世など無い方が良いのではないか。
 私たちがこの世に対して死ぬとき、もし神が存在しないならば、そこに最悪の事態が出現する。しかし、もし神が存在するなら、そこにすばらしいことが起こる。
 一粒の麦が地に落ちて死んだとき、それに新しい命が与えられ、多くの実を結ぶようになる。ちょうどキリストが死から、永遠の命に蘇ったように、私たちも新しい人生に蘇るのである。
 主イエスさま。このことの意味を私たちが理解できますように。

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罪に死ぬこと

ローマ人への手紙 第6章

 私たちが罪に勝利する道は、ただ一つしかない。それは、罪に対して死ぬことだ。
 聖書は、実にこのことを明確に何度も繰り返して語っているのに、人の心がそれを無視するのは、何と驚異的なことだろうか。疑い得ない明確なことをこうまでも無視し続けられるとは。
 人が罪に死ぬとは、彼の人生のすべてをあきらめることに他ならない。ところがクリスチャンは、往々にして、スマートな願望に胸を膨らませて生きていることが多い、しかし、そのような状態は、罪を犯すのをただ手をこまねいて待っているようなものだ。
 しかしもし彼が、自分の人生から得られるかも知れないものをすべてあきらめ、完全に罪に対して死ぬなら、彼にはこの世の望みはいっさいなくなる。そのとき、それまで彼が見たことも聞いたこともなかった、新しいすばらしい望みが、天から彼の元へ下ってくる。他の方法で来ることはあり得ない。それは、天から来るのだから。
 主イエスさま。ただ天からの望みと喜びで、私の心を満たして下さい。

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患難

ローマ人への手紙 第5章

 私たちがキリストの十字架を見上げるとき、そこに二つのことが見えてくる。
 一つは、罪の裁きであり、もう一つは神の愛である。神は、罪の購いのために罪を知らない人を裁かれた。そして、そこに神の愛が啓示された。神のいは、罪の裁きと共に表されたのであり、それは今も変わらない。
 この世界は依然、罪の中にある。だから、私たちがこの世界を生きるときに、この世界の罪の故に矛盾を感じることがある。そして、神の愛はどこにあるのかと疑問を抱くことがある。しかし、罪の裁きと神の愛は、共にそこにあるのだ。
 神はかつて、罪を知らない人に罪の裁きをくだされた。そして、今日でもそうされることがある。すなわち、罪を知らないクリスチャンにこの世の罪のゆえに感難を与えられるのである。
 クリスチャンは、そのとき主イエスを見上げる。そして、十字架のこれまでとは違う意味を理解する。主イエスが「十字架を追って私に従ってきなさい」と言われたことの真の意味を理解するのである。
 主イエスさま。私をあなたのご栄光のために用いてください。

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