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2005/08/18

異邦人の救い

使徒行伝 第10章

 神はイスラエルを選ばれたが、それは異邦人を含めた全世界に救いをもたらすためであった。神の眼差しは、イスラエルと共に、つねに全世界に注がれているのである。
 神は、イスラエルを救うついでに異邦人をも救おうと思われたのではなかった。異邦人無しに神の計画の実現はないのだ。異邦人は、イスラエルが生まれる前から神によって創造されていたからである。
 神は、信仰の奥義をイスラエルにだけ啓示されたのではなかった。パウロを立て、公然と奥義を全世界に向けて語り出されたのである。
 神は、潔い御霊をただイスラエルにだけ注ごうとされたのではなかった。むしろ、人種の区別無く、主イエスを信じ、従う者に注がれるのである。
 それはすべてのものが、主イエスによって一つとなるためである。
 神は、何か思想やイデオロギー等によってこの世界を統一しようとはされなかった。主イエスという王によって一つにしようとされるのだ。主イエスは、どこを治められるのか。彼は、あなたの心の王国を治められる。そこには、この全世界が包含されているのだ。神は、あなたを通して、全世界を治められるのであり、あなたが主イエスと共に、この世界を治める者となるのが神のご計画なのである。
 主イエスさま。私の心を治めてください。私がこの世界を治めることができるために。

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選び

使徒行伝 第9章

「サウロ、サウロ。なぜ、わたしを迫害するのか。」

 主に逆らう者には、大きく二種類がある。一つは、知らずして逆らう者であり、これは主から哀れみを受けることができる。もう一つは、知ってなお逆らう者であり、これに対しては、主から哀れみを受けることはない。これは、聖霊に逆らう罪である。
 パウロは、主が、福音を違法人に宣べ伝えるために、特別に選んだ器であったが、このときは、主の僕たちを迫害していたのだった。
 主は、自らパウロに語りかけられた。「なぜ、わたしを迫害するのか」と。この言葉は、主からパウロへの質問ではなかった。主がその選んだ器に顕現されるとき、そこでどのようなことが語られたとしても、それはあくまで命令であり、しかもそれを聞く者の永遠から永遠までを決定する事実でさえあるのだ。
 この主の言葉で、パウロの人生は、永遠に変わってしまった。主の言葉を聞いて、パウロが人生を考え直したのではない。それは、変わるべく定められていたのだ。主がパウロに語りかけられたとき、彼にはそれが分かったのだった。
 神はなぜパウロを使徒として選ばれたのか。パウロは、ギリシアの出身であり、十分な教育を受けて来ていた。神は、博学なものたちへ福音を宣べ伝えることをも望まれたのだ。
 さらにパウロは、主の教会の迫害者であり、独身者、異邦人、パリサイ人、ユダヤ人、風貌の優れない人、弁舌家、理屈屋、病を身に負っている人であった。
 神は、このようなパウロを慈しみ、違法人への宣教を委ねられたのである。
 主イエスさま。私を知ってください。私をあなたの御業のために、用いてください。

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聖霊の賜物

使徒行伝 第8章

 とても不思議なことだが、神は、ある特定の人に、特別な賜物を与えられる。そして、それを受けるためには、何がしかの条件があるらしい。この章の記述からは、ピリポやペテロはそれを持っていたが、シモンという元魔術師は、その条件を満たしていなかったということである。
 この賜物には、様々なものがある。ピリポが受けていたのは、悪霊を追い出す力、病を癒す力、体の欠陥を直す力、聖霊を授ける力(与えるのは、主イエスであるが)、知識の言葉である。
 神は、これらの賜物を、それを持っている人の按手によって、他の人に与えようとされたのである。
 主イエスさま。私があなたに、聖霊の賜物を願い、それを受けることができますように。

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