« 2005年8月11日 | トップページ | 2005年8月16日 »

2005/08/12

神の軍勢

使徒行伝 第5章

「ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。」

 このコミュニティは、この世のものではない。この世はこれを決して理解できない。カルト教団の教理が悪魔の教理であるゆえに、この世はそれを理解できないのと同様に、キリストを信じる者の群の教理も、この世は決して理解できない。ここに一つの困難がある。
 徹底した神への従順の要求、財産の共有、絶えざる祈りと賛美、節制、これらの意義を、この世は決して理解することができない。ときには、いや、往々にしてクリスチャンもそれをこの世の常識に無理に当てはめようとして、主の道を曲げてしまう。
 しかし、心から神の国を待ち望む者は、聖書に書かれているような、信じる者の集団の一見不自然な生活様式に身を置くことさえ願うだろう。彼の心は、天国の真理によって一新されているからだ。
 しかし、もし人がこの世の価値観でこのコミュニティを評価するなら、彼には神の国は奇妙なものと移る。しかし、それは裏返せば、彼こそは神の国における変わり者であるだけでなく、決してそこに住めない者であることを示しているのだ。
 主イエスさま。あなたが天上のことを語られるとき、私が信じることができますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新しい始まり

使徒行伝 第4章

 主イエスが十字架上に死に、祭司長や律法学者たちは、この件については一件落着したと思ったことだろう。しかし実際は、大変なことが起こっていた。今度は弟子たちが主イエスと同じことを大胆に行うようになってしまった。つまり、一人を殺したらその人が何人もに増えてしまったようなものだ。
 彼らは集まって対策を検討したが、解決策を得ることはできなかった。そもそも彼らは、そのときそこで何が起こっているのかさえ理解できなかったのであった。
 神の勢力とこの世の勢力の間の力の均衡は、常にこのようなものだ。クリスチャンは、このことを認識する必要がある。それは大人と子供の喧嘩であり、創造者と被造物、支配者と非支配者の間の争いであり、戦いになり得ない戦い、一つのゲームとさえ言いうるものなのだ。
 だからその戦いが均衡を保つためには、常に私たちが意識的な協力をする必要がある。それほど勝負の決着はすでについてしまっているのである。
 しかし実際には、クリスチャンコミュニティは、この世の勢力の前に悪戦苦闘しているように見える。それは、私たちが神に完全に従っていないことによるのであり、このことこそが計り知れない損失なのだ。
 主イエスさま。あなたを信じるものたちの信仰を立てあげてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年8月11日 | トップページ | 2005年8月16日 »