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2005/07/31

真理の御霊

ヨハネの福音書 第16章

「わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話して聞かせる時が来るであろう。」

 この章に書かれている主イエスの言葉と今日の私たちの状態は、何と異なっていることか。
 私たちは、会堂から追い出されたことも迫害を受けたこともない。それゆえ、他の良いこともまた私たちの身に起こらないのかも知れない。しかし天の父は、物惜しみされるようなお方ではない。だから私たちが本当に主イエスだけにより頼み.、心から彼に従うなら、この章に書いてあるような良いことが起こるだろう。
 そのとき、私たちは父なる神がまことに私たちと共におられることを知ることになるのだろう。そうなるためには、迫害がもっとも近道かも知れないが、それ以外では、私たちがこの世の見捨てられた存在となることも恐れずに、主イエスに従い、福音を述べ伝えることではないだろうか。
 主イエスさま。あなたのようにこの世に憎まれ、そして父なる神に愛されますように。

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神とつながる

ヨハネの福音書 第15章

「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。」

 なんと全能の神にもおできにならないことがあるのだ。それは、無条件に私たちとつながるということだ。なぜなら、「神と私たちがつながる」ということの内には、私たちの意志自体が含まれてしまっているからだ。もし私たちがそれを望まないならば、神とつながったことにはならないのであり、この部分に神の介入できるところはないのだ。もし神が介入されれば、私たちの自由意志が阻害されてしまうのだ。
 神が私たちをそのような存在に創造されたのは、私たちへの愛からであり、それゆえ神は永遠に愛であり、永遠の愛で私たちを愛されるのだ。そしてまた、神は私たちにも互いに愛し合うことを命じられ、それと共に万物を与えようとされたのだ。
 このような神に愛されている者たちが世からは愛されないのは、ある意味で当然なのだろう。世にあっては、強く賢い者が宝を手に入れるが、神の国にあっては、自分に死んだ者がもっとも良い宝を得るのだから。
 主イエスさま。いつもあなたの愛の内にいることができますように。

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