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2005/07/16

律法の精神

ヨハネによる福音書 第5章

「あなたがは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」

 律法は元々は、精神的なものだった。「思いを尽くし、心を尽くし、精神を尽くして、主なるあなたの神を愛せよ。」しかし、それが守られているかをチェックするために、十一献金や様々な捧げ物の規定が作られた。しかしいつしか、この目に見える目安の方が重要に思われるようになってしまった。そして、この書き記された事柄を実行するための新たな取り決めが作られて行った。そしてついに、最初の大切な精神は、忘れ去られてしまったのである。
 主イエスは、このようにがんじがらめに混乱した律法をもう一度立て直し、二度と破壊されないようにするため、つまり律法を完成させるためにこられた。そのためには、律法の精神を人の心に書き込む必要があった。それは、何を意味するのか。それは、神との合一によるのであり、御子の生涯そのものである。
 すなわち、自分を空しくして僕となり、自分の好むところをいっさい行わず、人生を父なる神に捧げ、その栄光のために生きるということだ。このことの中に秘密がある。それは、自分を捨てることであり、それによって神を獲得することだ。
 二つの精神が一つとなる。それは果たして可能なことだろうか、と人間は考える。しかしそれは可能であり、それこそが精神の到達すべき姿であり、生来の不幸からの脱却なのだ。神はこのことを結婚を通じて私たちに学ばせておられるのであり、恋愛のすべての感動はそのために神が備えられたものだ。そしてその究極は、神との合一であり、すべてからの解放を通じてすべてを父なる神から相続することなのだ。
 主イエスさま。あなたによって、父なる神の子とされますように。

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