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2005/07/09

知恵と徳

ルカによる福音書 第20章

 主イエスは、預現者として来られた。そして歴代の預現者と同じ運命を辿られたのだった。預現者は、神から遣わされたものであり、その権威は人社会からではなく、神から直接に与えられるのであり、主イエスがバプテスマのヨハネの権威に言及されたとき、このことを言われたのである。
 そして続けて主イエスは、ぶどう園
の例えを話されたが、それはかつて預現者イザヤがその働きの始めに語ったものであり、祭司や律法学者にはその例えが自分たちを指して言われたことが痛いほど良く分かったのであった。
 しかし主イエスは、また預現と律法の完成者として来られたのである。彼には、神のすべての知恵と徳が形をとって宿っていた。彼は神ご自身であったのであり、この知恵の前には、祭司や律法学者の知恵は、無きに等しいものだったのである。
 主イエスさま。わたしの人生の中にあなたの知恵と徳を現して下さい。

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時の徴

ルカによる福音書 第19章

 ザアカイは取税人であったが、メシアがきたことを察知して、彼を家に招き入れ、その出会いによって彼の人生は根本から変わってしまった。
 主人から1ミナを預かった僕は、出て行ってそれを基に10ミナを稼いだ。
 主イエスが苦難を受けるためにエルサレムに入場されたとき、乗るためのロバが用意され、人々はシュロの枝を道に敷き、「ホサナ」と叫んだ。
 しかしこのように時の徴を見分けたのは、ごくわずかの人々だけだったのであり、多くの人はそれを知らずに、旧態依然とした生活に甘んじていた。そのためにエルサレムはローマ軍によって破壊されてしまうのである。それ以来イスラエルの民は、世界中に離散し、地上をさまよう放浪者となってしまう。それは、20世紀にイスラエル王国が再建されるまで続くのである。
 神の国の一つの特徴は、そこに入る者とそうでない者との落差が大きいことである。それはまるで裁判のようだ。裁判には、有罪か無罪かがあるだけであり、その中間は存在しない。紙の国もそれと同様である。それはまさに裁判なのだ。
 主イエスさま。私が世界の審判者であるあなただけを恐れるように導いてください。

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