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2005/06/03

新しいものの始まり

マルコによる福音書 第14章

 この世界には、一つの法則がある。それは、完全なものが現れるために、不完全な物が捨てられるということだ。
 ひとりの女が高価な香油を浪費したとき、主イエスへの彼女の完全な愛が表されたのだった。また、イスラエルの永い歴史を通じて守られてきた過ぎ越しの祭りは、神の小羊主イエスの十字架上の死による完全な購いにより廃止されることになった。さらに、見事な石で築かれた立派な神殿が壊され、聖霊により私たちの心の中に、天の父を崇める完全な神殿が建てられたのだ。
 また、裏切り者が出て行ったことにより、真にイエスに従う者だけがそこに残ったのだ。しかしそれもまたもろくも崩れ去るべきものに過ぎなかった。完全な従順は、ペンテコステまで待たなければならなかった。そのとき、神の律法が信じる者の心に書き込まれたのであった。
 裁判で、それまで一言も答えなかった主イエスが初めて口を開かれたとき、彼は新しい言葉を語った。天地が始まって以来、それまで誰も語ったことのないことを。それは、まるで天地がひっくり返るようなことだった。
 そして彼がそれを語ったとき、彼に向かって死刑の判決が言い渡された。しかしその判決は彼を通り越して、実はその宣告者である、この世界すべてに向けられていたのだ。というのは、彼は万物の創造者であり、万物の運命を支配しておられたからだ。彼が語ったのは、次のことだった。
 すなわち、今大祭司の目の前にいる被告が、実は全能の神ご自身であり、やがてこの古い天地は終わりを告げることになっていること。そしてそのときに、彼自らが雲に乗ってやってきて、すべての人を裁き、新しい天と地が始まるということだった。
 主イエスさま。あなたこそ万物の支配者です。私が新しい天と地に望みを置く者でありますように。

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主の預言者として

マルコによる福音書 第13章

「神は、・・・、この終わりの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。」 ヘブル1:2
 主イエスは、預言者の一人であった。しかし彼は同時に神であった。つまり預言者に言葉を与える方でもあったのだ。だからこう言われた。「だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。」そして彼は、世の終わりの日に起こることを預言されたのだった。それは、私たちがその語られたメッセージを今の時代に語るためだったのだ。
私たち一人一人が神から遣わされた預言者として。
 私たちはこの時代にどのようにメッセージを語るべきだろうか。それは、今もう「人の子が戸口まで近づいている」ということ、すなわち主の再臨が近いということであり、だからみな「悔い改めるべき時」であるということである。このメッセージは、かつてバプテスマのヨハネが主イエスの顕現に先だって語ったと同じものだ。神は首尾一貫した方法でこの世界と関わられる。そしてその方法を尊重する人を用いられるのだ。
 しかし主イエスはここで警告しておられる。「あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長老たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。」「また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。」私たちが神の首尾一貫した、この世界へのアプローチに従うとき、私たちの境遇もまた神の前に首尾一貫したものとなる。すなわち、そのとき私たちも、預言者が受けてきた迫害を受けるということである。
 それでは、私たちをして、あえてそのような境遇に連れて行くところの動機とは何であろうか。それはまず、主イエスへの燃えるような愛、次にこの世界に生起する諸現象の主イエスの言葉に基づく観察と考察、最後に聖霊の内なる声へのたゆまぬ傾注であろう。
 主イエスさま、私がこの世界に対して、一人の預言者であり続けられますように。

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