« 永遠の礼拝 | トップページ | 「徳」の必要性 »

2005/03/03

一個の魂のための真理

批評:像を介さぬ認識について

 エックハルトが語る神と魂の関係において、魂はある意味で徹底的に自虐的に見える。魂は神の前で殆ど常に消滅寸前の状態である。
 それはエックハルトによる、神の偉大さの究極的な表現でもあり得るだろう。しかし彼の表現は、捉えようによっては、それを神が消滅寸前と捉えてしまう人があるかも知れない。これはまことにグレイゾーンであり、どちらがどちらを飲み込んでいるのか良く分からない面が多分にある。それはむしろ、「同化」と言った方が良いようにも思える。しかしそれはそうではない。実は魂も神もいつまでも最初の状態のままなのだ。その個別性を保ったまま、魂は神の前に無一物になろうと欲しているかのようである。そして、それは一つの美学のように美しい。
 しかしいったいどれほどの魂がそのことを欲するだろうか。私の願いとしては、神を知ったすべての魂がこのことを望むことであるが。エックハルトはどうもそれを想定していないように思える。それではいったいどのくらいだろうか。1パーセント?、いやもっと少ないかもしれない。でもそれではいったい何のための真理なのか。
 エックハルトの語る真理は、究極的には、ただ一個の魂のための真理である。彼がある特定の魂について語っているとき、他の魂についてはどうでも良いのだ。彼の語る真理とはそういうものだ。そのようにして初めて彼は真理を語ることができるのである。それが神秘主義というものなのだろう。

|

« 永遠の礼拝 | トップページ | 「徳」の必要性 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/59973/3160804

この記事へのトラックバック一覧です: 一個の魂のための真理:

« 永遠の礼拝 | トップページ | 「徳」の必要性 »