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2004/10/21

南アフリカへの出張

ある日、どう間違ったのか、話せば長いことになるので、経緯は省略するが、私は、南アフリカのケープタウンへ出張することになった。
それは、ある組織の国際総会に出席するためであった。

私は、それまでもヒアリングマラソンの通信教育で英語を勉強していた。しかし、国際総会の場で、それが通用するとは思っていなかった。そこで、英語力を補うために、急遽、NOVAに通うことになった。実に、2ヶ月で98時間の英会話レッスンを受けたが、なかなか上達しなかった。そういう訳で、自信の無いままの出発となった。

南アフリカは、治安があまり良くないらしい。
旅行ガイドブックには、十数行にも渡って、過去発生した強盗事件(いずれも旅行者が遭遇したもの)が載っていた。家族は、私にそんな危険なところに行かない方が良いと言った。
しかし、サラリーマンの宿命は、業務命令に逆らえないということである。

成田空港からシンガポール航空で、一路シンガポールに飛んだ、そこで6時間半待たされた末、今度は南アフリカのヨハネスブルク行きの飛行機に乗り換えた。8時間ほど飛んで、真夜中にマダガスカル島の近くの島の上のモリシャスという空港についた。そこで、約1時間待ち、さらに3時間ほど飛んで、ヨハネスブルクに着いた。
ここで、ドルからランド(南アフリカの貨幣)に両替する予定であったが、飛行機が遅れたために、それができずに、そのまま国内便でケープタウンまで来てしまった。空港で、両替所はどこかと聞いてみたら、何を言っているのか分からないという顔をされた。私の英語が通じないのかと思い、今度はゆっくりと違う言葉で訪ねたら、やっと分かってくれて、それなら国際空港へ行かなければならないという。こんどは私が何のことか分からなくなった。ここは国際空港ではないのか。そうか、ヨハネスブルクで国内便に乗り換えたから、ここはローカル空港なのだ、とやっと納得した。国際空港までは、車で5分ということであった。このケープタウンの空港で、私をホテルまで送ってくれるはずのバスが待っていてくれるはずだが、それもどこにいるのか分からないまま、うろちょろしていた。

体格の良い黒人が私のところに寄って来て、国際空港へ連れて行ってくれると言った。
私は、思わず神様に相談した。すぐに平安が訪れたので、彼について行った。
空港の外には、さらに2人の黒人が車で待っていた。その車で連れて行ってくれると言っている。
私は、また神様に相談した。また、平安が訪れてきたので、荷物を積み込み、彼らの車で国際空港へ行った。
国際空港に着くと、私が両替してくる間、そこで待っていてくれると言う。私は、自分の荷物を持って行きたかったが、彼らは自分達を信用しろと言ってきかない。私は、また神様に相談した。平安が訪れたので、私は両替所に行った。両替所で、800ドルの両替を頼んだところ、そんなにはお金がないという。そこで、強いて200ドルを両替して、彼らのところに戻ってきた。彼らは、まだそこにいた。
彼らにチップを20ランド(約400円)支払い、ローカル空港へ戻ると、私をホテルに送ってくれるはずの人に出会うことができた。

ホテルに着いてチェックインしようとすると、私の名前が見当たらないという。いつのまにか予約をキャンセルされていたらしい。そこで、余分な部屋はないのかと聞くと、1部屋空いていた。さらにセーフティーボックスを要求したらやはり、1つ空いていた。ホテルのボーイは、私が幸運であると言った。セーフティーボックスは、通常部屋の数の半分以下しかないと聞いていた。

次の日からは、朝から晩まで、会議の連続であった。英語の会議は始めてであった私は、非常に戸惑ってしまった。おまけに、会議が混迷してしまって、ネイティブイングリッシュが飛び交い、私に十分理解できないまま会議が進んで行った。その夜、他の会議に出ていた日本代表の人から、私が出席している会議の状況説明を求められ、彼の部屋に行くことになった。恐れながらも部屋を出て、彼の部屋に行く間に、私の頭の中に、会議報告が整っていった。

神様は、この出張の間に、2つのみ言葉を私に下さった。
一つは、詩篇146篇、もう1つは、箇所を忘れてしまったが、「私の民は、とこしえに恥をみることがない。」というみ言葉であった。
神は、信じる者に決して恥をかかせられることがないことが分かった。

会議がすべて終わって、最後の日は、喜望峰へのツアーとなった。すばらしいツアーであった。

私は今、あの悪夢のような出張のことを思い出しながらこの証しを書いている。あれは、おそらく今までの私の人生最大の危機であり、苦難であったと思う。10日間、髪の毛が抜けるのではないかと思うほど、緊張していた。そして、地の果てにいて、どこにも逃げ場がなかった。ただ神に祈るのみであった。
でも、今思い出して見ると、それは何か眩しい光に包まれている。実際は、何一つ嬉しいことなどはなく、辛いことばかりだったのに。思い出す私の心を満たすのは、ただただ、神の愛の大きさである。本当に、あの出張に行けて良かった。もう、二度と行きたくないけれど、本当に行けて良かった。
私は、聖書に、「神は、天国で私たちの目の涙を完全にぬぐいとってくださる。」というような記事があるのを、本当は信じられなかった。人間の傷ついた心は、決して癒しようがないと思っていた。でも、今ではその意味がわかるような気がする。
もし、私の人生のすべてが、辛いことばかりであっても、しかも、意味の分からない苦難だらけであっても、もし私が神を信じたなら、その苦難いっぱいの私の人生の結果から、神は私の心を、愛と平安と感謝で満たすことがおできになるのだ。
『災いに会ったことは、私にとって幸いでした。私は、そのことを通じて、神の愛を知りました。』聖書

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