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2004/10/21

イスラエル旅行

かつて、イスラエル旅行をしたことのある、教会の老兄弟から、エルサレムの写真をおみやげに戴き、部屋に飾って、家族で毎日眺めていた。いつか、イスラエルに行きたいとみんな口々に言っていた。

そんなある日、私がそのころ所属していた子会社から東京の本社へ転勤することになった。これは、他の証しに書いたが、神の導きだと思っている。しかし、不思議なのは、会社が私に退職金を支払うと言ってきたことだった。
会社を辞めるわけでもないのに、退職金をくれるとは、どういうことか良く分からなかったが、何十年後に貰うよりは、ずっとありがたいと思って、よろこんでいただくことにしたら、イスラエルのことを思い出した。

喜び勇んで、旅行の下調べをしていたら、ある日の礼拝で、牧師先生のメッセージの中で、先生が、「私もいつかイスラエルに言ってみたい」と言われた。私と妻の耳は、一瞬、象のように大きくなったかに思われた。先生は、まだイスラエルに行ったことがなかったとは。
でも、そのとき、神が私の心にこうささやかれたように思った。「一緒に行けばいいじゃないか。」そのとき、私の心に笑いがやってきた。これは、不思議な感覚であり、すべてがすでに整えられているようなすばらしい平安であった。

さっそく、牧師先生に一緒に行ってくださるようにお願いし、資金を計算してみたが、何とか整えられる見通しがついていた。
さらに、私の願いとしては、キリストが十字架をかついで歩かれた、ビアドロロッサを自分でも歩き、そのすべてをビデオに納めたかったので、デジタルビデオが欲しくなった。でも、それを購入するには、お金が足りなかった。しかし、ある日、仕事で大阪に行き、ある会議で研究発表をしたら、思いのほかたくさん謝礼をいただき、会社に報告したら、全部私に戴けることになり、デジタルビデオが手に入った。

そんな訳で、とんとんと旅行の準備が整って出発の日となった。私たちは、念願のイスラエル旅行を専任の牧師付きで旅行できるのであった。ちなみに、このツアーには、全部で14人が参加したが、その半数、すなわち7人が私の家族5人と牧師先生夫妻であった。
イスラエルまでは、飛行機で約16時間の旅であった。

まずエジプトのカイロに飛行機で飛び、そこから出発して、イスラエルの民が歩いた道筋を辿る、すばらしい旅行であった。途中、シナイ山に登る体験をした。真夜中に起きて、ホテルを出発して、翌朝の6時半の日の出を山頂で迎え、さらに歩いて麓まで戻るのであるが、その間、トイレにいけないというきびしいものであった。山頂の気温は、マイナス4度と言われていた。この登山に、当時幼稚園の長女と小学1年の次男、そして、3年の長男と妻の5人を引きつれて挑んだ。途中で、次男が寒さに絶えきれなくなり、私のコートを奪ってしまった。そのとき、牧師先生がバッグにしまっていたウインドブレーカを貸してくれたのはとてもうれしかった。また、さらに途中で次男が歩けなくなり、私が肩車して登った。しかし、山頂の日の出は、実にすばらしいものであり、大きな声で讃美を歌っている人も沢山いた。神は、私たち家族をすべての災いから守ってくださった。

イスラエルに入ると、なんとすべてが祝福に輝いて見えたことだろう。急に緑が多くなり、どこか日本に似た風景が展開した。至るところにオリーブとナツメヤシの木があった。死海では、家族みんなで水の上に浮かぶ体験をした。

エルサレムに入ったところで日が暮れ、その日はエルサレムのホテルに泊まった。夜の景色と日の出は、また格別であった。次の日に、念願のビアドロロッサを歩いた。私は、終始ビデオを動かしていたため、返ってあまり感動を感じられなかった。また、実際のエルサレムは、今私たちが歩いているこの地面よりも実際は5mも深いところにあることも知った。そんなこともあって、エルサレムの城壁を後にするときに、ちょっと寂しい気分になってしまった。「主よ、ここまできたのに、あなたを身近に感じられません。あなたは、ここにおられないのでしょうか。」と訪ねる私の心に、すぐにある思いが入ってきた。「私は、いつもあなたの中にいる。」

次の日は、ガリラヤ湖を船で渡ることになっていた。湖畔のレストランで、ペテロの魚を賞味した。これがとても美味しかった。私は、オリーブの実が大好きなので、それがいつもお皿に添えられているのにとても満足であった。また、ナツメヤシの実もとても好きになった。ついでに記しておくと、この地方のピタという中空のパンに豆をすりつぶしたペーストや色々な野菜を詰めこんだ食べ物、あれはなんといったのか忘れたが、あの味は忘れられない。

船は、私たちツアーに貸切となった。湖を渡りながら、持って行ったギターを伴奏に歌をうたった。「暗闇に光」という今まであまり歌ったことのなかった歌がこころに浮かんできて、これを皆で歌ったら、それがガリラヤ湖にぴったりの歌であることを知った。かもめが沢山やってきて、私たちの投げるパンをついばんだ。湖の真中付近で、船が急に止まった。何が始まるのかと思っていたら、船員がやってきて、2つの旗をマストに挙げ始めた。一つは、イスラエルの旗、もう1つは日の丸であった。私たちは、少し興ざめしてしまった。日本人クリスチャンにとって、国旗掲揚がどのような意味を持つか、彼らが知る由も無いだろう。それでも、私は上がって行く二つの旗を見つめていた。君が代が斉唱され、二つの旗が頂上まで達し、風に仲良くたなびき始めた。その時、主が私の心に語られたように思った。「この旗を見なさい。これは、義の太陽の旗である。そして、君が代とは、私の代である。私の代は、終わることがない。」
いつか日本で、君が代がイエス・キリストの歌として歌われる日が来るだろうか。私は、神にはそれが可能だと思った。日本に帰ってからこのことを証ししたら、同じことを示され、教会で証しして、牧師先生から注意された兄弟がいたのには、驚かされた。

この旅行は、私たち家族にとって、とてもすばらしい旅行であった。イエス・キリストの時代を肌で体験できたようで、帰ってきてからも聖書を読むときに、それが生きているように思える。

それにしても、この旅行ができるような資金がどうして私に転がり込んできたのか、今でも不思議でならない。
ある日、かつての子会社の総務部長が私を呼び出した。行ってみると、変なことをいっている。私に退職金を多く渡し過ぎたことが分かったというのだ。だから返してほしいと言っていた。私は、全部きれいに使ってしまったと言った。そうしたら、諦めたらしく、私が本当に退職するときにその分を引くということになった。良く聞いてみると、私がすでに貰ってしまった分も、私が会社を実際に辞めるときに貰う退職金から引かれるだけで、現時点で私の退職金がまた0から始まるということではないことが分かった。たぶん、定年のころには、問題にならない金額となっているのではないだろうか。

それに、それまでにイエス様がやってこられるかも知れないし。

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