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2004/10/21

妻の頭痛の癒し

私たちの確信は、主イエスの御名には、力があるということだ。
だから、私たちは、なんでも主イエスの御名によって祈る。

ある日、私が会社から帰ると、妻が浮かない顔で座っていた。

「どうしたの」と私。
「頭がいたいの」と妻。
「どんな感じでいたいの。」
「なんだか、こう、押しつけられるみたい。」
「へんだね。」
「何か、重いものが乗っているみたい。」
「わかった。 子なき爺だな。」
「変なこと言わないでよ。 クリスチャンらしくないよ。」
「それじゃあ、イエスの御名で、頭痛を追い出そう。」
「そうね。」
「それじゃあ、祈るよ。  私の妻を攻撃している、すべての悪の力に、いま、主イエス・キリストの御名により、戦いを挑む。悪の力よ、お前の汚い手を、今、私の妻から放せ。離れ去れ。」

「どう?」
「あれっ、なおったみたい。」
「ハレルヤ! 主イエスさま。 あなたの御名には、力があります。 感謝します。 御名をほめたたえます。」


また、あるとき、私たち夫婦は、どういうわけか、御墓参りに行くはめになった。
私たちが信州旅行するときに、私の両親が、お墓に花を供えてきてくれるように、私たちに頼んだのだった。
私は、断りきれず、しかたなく、お花を墓に置きに行った。
お寺につくと、妻は車から降りようとしなかった。 しかたなく、私と長男の二人でお墓までいった。
主イエスの御名により、祈りをささげ、お花をお墓に置いてきた。
お墓の中を通って帰って行くときに、長男に聞いてみた。
「ねえ、こんなところに神様がいると思う?」と私。  「いるわけないじゃん」と長男。
まあ、教育の一環にはなったかもしれない。

急いで車に戻り,こんなところに長居は無用と、その晩泊めてもらうことになっていた、私の昔の牧師(洗礼を授かった)先生の家に行った。 その晩みんな、楽しいひとときを過ごしたが、妻だけは別だった。
彼女は、頭が痛くて、どうしようもないらく、一人で二階へ行って床についてしまった。
私たちが、布団に入ってからも、妻は寝返りを打って、眠れなかった。

「どうしたの。」
「頭がいたいの。」
「どんなふうに?」
「なんか、こう、ハンマーで殴られてるみたい。」
「もしかしたら、お墓から悪霊がいっしょについて来たのかもしれない。」
「ぞーー。よしてよ。」
「とにかく、主イエスの御名で追い出そう。  悪霊よ、主イエスの御名で命じる、出て行け。」
「どう。」
「・・・・・・・・・・・」

妻は、いい気持ちそうに、眠ってしまっていた。

主イエス・キリストにすべての栄光をお返しいたします。

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