神に仕える日々
神の根底にまで究めゆく力について
人はどのようにして、その生涯を神に喜ばれる日々とすることができるのだろうか。自分の生きている意味を知ることができればそれも可能だろう。そのようにして、「義とは何か」を知ることができたなら。しかしエックハルトによれば、「義とは、真理における一切の事物の原因のこと」なのである。そして、それを知ることできるためには、すなわち賢くなるためには、人はすべての事物を抜け出て、一切の事物とその原因とを超え出て行く必要があるとエックハルトは言うのである。
しかしそのようにして、すべてを超越しようとする者は、いったいどこに向って走っているのか。というのも、エックハルトによれば、「神は神の全神性をたずさえて魂の根底にいる」というのだからである。そこで彼に必要なことは、エックハルトの言うように、外へと向かう超越方法ではなく、むしろ自分の内へと向かうものすなわち、「造られた一切の事物から自由となり、真理の真なる鍵をかけて、自分自身の内にしっかりと閉じ籠ること」なのである。そして、その彼自身の魂の最内奥において、彼は一つの決定的な出来事が起こるのを期待しているのである。それは、父がその独り子を「現なる今」において生み、そしてそのことにより彼の魂も神の内で再び生まれることなのである。
この領域においては、時間という概念はもはや一般的な意味をもたない。もともと神にあっては、1日とか1年とかの期間は、私たちが考えるような意味を持ってはいない。神にあっては、一日は千年のようであり、また千年は一日のようなものだからである。つまり、この領域においては、人と神との関係こそがすべてなのであり、その意味でそこには、「魂の日」と「神の日」以外には時間的に意味のあるものは存在しない。そしてこの2つの日、すなわち「魂の日」と「神の日」は、「現なる今」において出会うのであり、この「現なる今」において、神は御言葉により全宇宙を再創造するのであり、そのようにして、万物の意味は保たれ、天は運航し、歴史は展開しているのである。というのも万物は、御子により、ただ御子のために創造されたのだから。
御子によりもう一度新しく生まれた彼の魂は、まさにこの日の内に生き続けるのであり、そこで彼は、神の独り子とひとつになって、その独り子のように生きるのである。そのとき彼の日々は、ことごとく神の御旨に適うものとなる。そして彼は、御子にあって、時間と空間を超えて一切の事物を認識する。そのとき彼は、神から義なる者と認められ、箴言にあるように「知恵があなたの心を訪れ、知識が魂の喜び」となる。
エックハルトは祈る、「わたしたちが自分を、知性の日と時とにおいて、知恵の日において、義の日において、そして淨福の日において、内面に見出すよう、父と子と聖霊が助けてくださるように。アーメン。」
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